米国式社会の在り方が、今回の100年に一度といわれる危機を招いた。
そんな中、サイトウ・アキヒロ氏著の“ゲームニクスとは何か”幻冬舎新書を読んだ。
日本のゲームソフトが優れている点は日本の“もてなしの文化”と“制限された中で新しいものを生み出していく文化”があったからであると論じている。私も大いに賛同した。
“もてなしの文化”とは、茶の湯のことである。茶の湯の真髄は亭主がお客さまをもてなすことである。正月に初釜のお茶事に行ってきたばかりなので妙に納得してしまった。
“制限された中”とは和歌、俳句の文学から着物の裏地や小物などファッションであり、家を木造とした建築も含めて制約のある方を選択してきたのである。
織田信長は世界初の鉄の船を造り、豊臣秀吉は巨石を使った大阪城を造った。西洋のように家を木造から石造りにしようと思えば造れる技術は、当時から日本は持っていたのである。
しかし、日本人はそれを選択せず、どれだけ火事や地震で被害を受けようと木造家屋を選択し続けたのである。
グローバルスタンダードのもとにすべてを米国式にしようとしている現代は、実は進歩したのではなく、退歩した時代になった。
さらに経済合理性という、金が儲かればよいという単純な図式にしたことで、文化もない野蛮な国に堕ちてきてしまったのである。
日本は小さな島国であるが、高い文化と人へのやさしさを持った教養のある国であった。
“モッタイナイ”とは、無駄をしないという経済合理性だけでなく、“有難さ”“思いやり”という文化的な価値観を持った言葉である。
大企業は日本でのものつくりをやめて、海外へのシフトをさらに加速するであろう。大企業はすでにグローバル化に汚染されてしまっているので、これを止めることは不可能に思える。
しかし中小企業は、日本の文化の良さである“制限された世界”“思いやりともてなし”を生かしていけるのである。その上、労働人口の七割を受け持っている。
これからは、中小企業こそが日本の復興の担い手であり、その中に日本の文化の良さを脈々と持続させていける可能性を秘めているのである。
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