デフレが始まったのは、1994年と経済の本に書いてあった。バブルが崩壊して、13年が過ぎ、デフレになって9年が過ぎたことになる。失われた10年の傷あとは、不景気という経済的な問題より、この国に住む人々に精神の面で大きな傷あとを残し、今も私たちを悩ませている。
近頃の殺人事件、それも親子間、肉親間で多く起きていることに驚き、犯罪検挙率20%という低さに目を覆いたくなる。日本は世界一安全な国と呼ばれた時代が「あった」という過去形になってしまった。たしか、勤勉さも世界一だった。日本のすばらしさは、すべて過去形でしか語れないのか、そんな寂しさを感じる歳の瀬である。
自社の入社試験の面談をしていて、成績は優秀なのに、働こうという強い意志のない者が多いことに驚いた。私は担当者に、「我々が前提としてきた、入社試験に応募する者は働き続けようという意思があるという前提を疑って、それをチェックする必要があるのではないか」とつぶやいてしまった。
その原因をいろいろ考えてみたら、失われた10年の傷あとにたどりついた。この10年、もの心がついてからずっと、毎年悪くなる世界を過ごしてきた者たちは、努力する喜びや勤勉さの喜びを一度も経験したことがないことに気づいた。そういえば、スポーツの大会でも、「がんばれ」という言葉より「楽しんできます」という言葉をよく聞くようになった。
我慢して得る喜びを知らない者たちにとって、忍耐は苦痛でしかない。いくらこちらが言葉で説明しても、「うそ」に聞こえるのであろう。今を刹那的に生きることで、自殺をしないことくらいが自分を守る術なのも分かる気がしてきた。だから、会社も信用できないからフリータが一番ということになるのだろう。
この傷あとは、精神の荒廃を蔓延させている。それなのに、誰もがそれを認めようとしない。また、たとえ指摘しても、他人のせいで自分のせいではないと皆が信じようとしている。
しかし、これは日本だけの特殊な状況であり、いつまでもこのままではいられない。この傷から立ち直るには、景気回復だけなく、その前に精神の復興こそが求められている。精神の復興とは、個性ばかりを重んじることではなく、忍耐の先に喜びがあり、勤勉こそ人生を充実させる道であると信じることである。
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