最近続けて起こっているブリジストンや新日鉄の工場の火災から、いろいろと考えてみた。私も小さいながらも工場を所有し、従業員に生産活動をさせて日々を送っている。その為かあれらの火災は”他人事”に思えなかった。
自分が、あの火災を起こした責任者だったとしたら、どういう行動に出ただろうか?テレビで頭を下げている責任者が自分だったらどうしようか?また、あのような火災を起こさせない為には、どうしたらいいだろうかなどと、真剣に”想像力”を働かせて考えてみた。
そうすると、自分の工場にもいつ火災が起きても不思議でないことに気がついて、背筋がぞっとした。
第一に、私の工場は築30年近く経っているので、経年劣化による火災、例えば漏電等の目に見えない形から火災が起きる可能性がある。
第二に、工場内には大量の油が機械の中にある。これも見えにくい。車と同じで危険物とは感じないで毎日運転している。
第三に蛸足配線が増えている。工場には危険物がたくさんあり、それを使用することで仕事がなりたっていることに、今まで無意識のまま過ごしてきた。
今回の火災を機に、本当に安全なのか疑ってみると、今まで見えなかったものが急に見えてきた。養老孟司の本にもあったが、”主観がすべてを決めてしまう。だから見ようとしないと見えない”のである。
工場を巡回しながら、従業員と話をしたら”そうは言っても大丈夫じゃないですか”という意識であることに驚いた。きっとあれらの工場の人たちも同じ考えだったに違いないと思った。”想像力”を全く働かせていない。昨日も今日も無事に過ごせているから、明日もきっと何も起きないだろうと思っているのである。
しかし、リスク管理の観点から見ると逆で、昨日も今日も起きなかったから、明日は起こる可能性が増えたと考えるべきである。
私は子供の時から工場で生活しているので、火災や労災の場面をたくさん見てきた。しかし、中年以下の若い従業員にはそういう経験がない。経験がないから想像力が働かない。そういう人たちに、いかに火災、労災の怖さを伝えるか?
いろいろな手口があるが、マニュアルやルールでは不十分である。私の工場でも、以前は安全パトロールを定期的に実施してチェックをしていた。しかし、いつの間にか形骸化してしまっている。形骸化した一番の原因は、改善が進みルールも守られ、事も起きないためである。
マニュアル化されたルールは、ある種の想定、過去に起きた事の反省に基づき作られている。しかし、想定しない別の複合的な事からも事故は起きるものである。
それを避けるには、安心しきっている心、すなわち精神の生活習慣病から抜け出す必要がある。工場内によく大きく張ってある”安全第一”というスローガンだけでは、何も実現しない。一人一人の心にそれが宿り、育っていかないといけないのである。
そこで私は朝礼で話をし、私の書いたメッセージ持って各職場を回り、その現場で従業員に具体的に指摘をし、対話をおこなった。これは、非経済的な行為である。従来は張り紙やメールで済ませてきた。その方が経済的で合理的であるからだ。しかし、張り紙やメールなんて、家にくるDMの封筒と同じで、すぐに捨てられてしまう。
コスト至上主義、ITによる合理化が”危険への想像力”を失わせてきていると考える私は、あえて非合理的な手法を選択した。失敗の経験にはかなりのコストがかかる。”想像力”は無料である。他人事を自分の事として考えられる”想像力”は、実は高価な価値がある。
安全神話は崩れたと言われ、誰もが、もう道路も工場も安全ではないと気が付いているのに、一歩中に入ると、自分の所は大丈夫だろうと安心してしまう。他人事では済ませず、想像力を働かせて自分の所も”安全だと思い込んでいるにすぎない”、”いつも危険がいっぱいあるからこそ、安全に事を進めていこう” と、各自が自覚していかないといけない。
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