先月、2年ぶりにドイツとフランスに行ってきた。変わっていたことと言えば、貨幣がユーロになっていた。ドイツのマルクとフランスのフランの交換の必要がなかったのは非常に便利であった。
日本ではコンビニと禁煙が社会進歩のバロメーターのようになっているが、ドイツやフランスには、コンビニも禁煙もなかった。特に、喫煙の自由は久しぶりに味わった。空港のコーヒーショップにも、もちろん町のレストランにも灰皿が置いてあった。
9.11のテロ以来、3回ほどアメリカに行ってきたが、禁煙とセキュリティーチェックの厳しさにはへきへきしていた。今回の欧州では、どちらも厳しくなくほっとした。
一服しながら常識について考えてみた。日本の常識は世界の非常識と言われているが、アメリカの常識も世界の非常識ではないだろうか。
今の日本は、グローバルスタンダードという言葉の元、盲目的にアメリカの常識にすり合わせようとしているような気がしてきた。アメリカが果たしてグローバルスタンダードなのだろうかという疑問が湧いてきた。
東京では、丸の内、六本木、汐留と新しいビルが不況知らずに建ち、町並みが日々変化しているが、パリもデュセルドルフも以前と変わらない街並みであった。
しかし、欧州では街並みは変わらないが、中身は着実に変化していた。変化させるものと変化させないものとが、きちんと区別されているようだ。パリの美術館も見やすく入りやすくなっていた。
また、パリでルイヴィトンのバックを持って歩いている女の子を見かけることはなかった。車は小さく駐車しやすいものを選んでいる。
日本の外交や社会はアメリカ以上にアメリカ化され、車は日本製だが、大きさは道路に比べて大きく、持ち物は収入とは関係なく誰もがブランド品を持ち歩くという不思議な国である。
猿まね国家は、国民の心まで猿まねになってしまったのだろうか。自らの価値観と決断力を持たず、他人に預けることは怠惰であると思う。日本の再建は、この点から始めないとならないような気がしてきた。
|